穏やかな秋のお天気が続く2017年10月のロンドン。
実は私、今年は何人ものお若い方々と一緒に暮らしているのです。
年間を通しての長期下宿の男子一名、女子一名。加えて短期の留学生の学生さんたち約数名が出たり入ったり。
時にはこのように↓若者5人分のご飯を作ります。
大変だけど、家が活気があるっていいものですよ。男子と女子、どっちの下宿人がいいですか?ってよくきかれます。
男子学生は一般的によく食べ、行動はわかりやすくて、単純で、そこのところ可愛い。
それに比べて女子学生は若干気を使いますが、女同士でいろいろお話できたり、時には一緒にお出かけしたりという同性ならではの楽しみがあるのです。
こちらは王立音楽院(Royal Academy of Music)に留学中のピアニストのTちゃん。↓ 毎日の練習に余念がありません。いまやうちの子供たちが誰も弾いてくれなくなった我が家のピアノが久しぶりに毎日数時間も奏でられ、美しい音色に聴き惚れる幸せな日々。
一方、こちらはロンドンでコンテンポラリーダンスとピラティスを学び、自分探しの旅を続けるMちゃん。↓
娘と同年の彼女とはヨガやエクササイズにご一緒しますよ。フィットネスやダイエットやファッションや美味しい食べ物について、いろいろお話できるのも嬉しいことです。
ある日はハムステッドヒースに3人でお出かけ。
留学生である彼女たちに、北ロンドンのあちこちをご紹介したいと思ってのことでした。
ハムステッド名物の屋台のクレープ屋さんにも並びましたよ。
北ロンドンに住む皆さんならご存知ですよね。とても美味しいので、いつも行列ができています。
加えて、今週はイギリスの学校はハーフタームホリディなので、バーミンガム王立バレエ学校で学ぶYちゃんもホームスティに来てくれています。おかげで、我が家はいっそうにぎやかに。
もっとも、彼女自身は大変物静かなお嬢さんですけれどね。14歳からイギリスに単身バレエ留学しているYちゃんは、学校がお休みの時にはいつも我が家で過ごしています。
そういえば女の子は男の子と違ってお部屋もとてもきれいに使ってくれます。 さて、一緒に暮らしていると、この年になってもお若い方たちに教えていただくことっていろいろあるものです。
そのひとつは、最近生理用ナプキンが紙じゃなくて布が復活しているという事実。
昔々は布でしたよね。それが脱脂綿になり、その後1961年に初めて紙ナプキンが登場した時、それは新しい時代の到来や技術の進歩、そして女性の解放をも示唆していたはず。それが、今は逆に、時代の流れに敏感で、意識の高い女性こそ布ナプキンに移行中らしい。
つまり今や世界中の先進国では布が新しい!?
いろいろ調べてみましたが、その理由は大きく分けて次の五点に要約されるようでした。
ひとつは、紙ナプキンには血液をゼリー状に固める高分子ポリマー、塩素漂白された不織布など多くの石油系化学物質が使われ、皮膚のかぶれや痒みを引き起こしているという事実。それに対して布ナプキンは、自然素材で柔らかくて肌触りがよく、皮膚疾患のトラブルがない。
二つ目は、布は洗って繰り返し使えるということ。使い捨ての紙ナプキンと違い、環境公害を促進することはなく、エコロジカルであり、ごみを出さない努力をすることで社会に貢献もできる。しかも個人としては、月々の紙ナプキンの費用がなくなるので、経済的であるということ。
三つ目は、科学的根拠はないかもしれないのですが、布ナプキンに変えてから、ほとんどの人が生理痛が軽くなったという経験をしている。寝込むほどの痛みがなくなり、鎮痛剤のお世話になることもなくなった。布ナプキンは経血を吸って冷たくなることがないので、体を冷やさないからだとも言われています。
四つ目は、自分の生理に以前より関心を持つようになり、月に一度自分の体と向き合うチャンスだという考えから、生理をポジティブに受け止められるようになった。布ナプキンはデザインもこのように↓可愛い柄が多いので、選ぶ楽しさから生理への憂鬱感が減り、精神的な意味で生理痛も軽減。
五つ目の点としては、自己コントロールにより、意識とひいては体が変わってゆくという経験ができるようになった。紙ナプキンは、経血をナプキン内部に閉じ込めるので、いつ出血したかわからないことも多く、不快感を意識しにくい。反対に、布は出血すれば自然な意味で気持ち悪く感じるし、従って紙よりこまめに変えなければならない。ナプキンを必要以上に汚さないようにと意識することによって、経血をトイレで排泄できるよう、少しずつ体を変えていくことができる。
江戸時代の女性には、こういうからだのメカニズムが自然に備わっていたらしいという点に、社会人類学的な意味で私はとても興味を持ちました。着物で過ごし、パンツもはかず、今のようにテクノロジーが発達していなかった時代に、われわれの先輩女性はどのように生理と向き合っていたのか。今の女性より骨盤底筋が発達していたので、排血を自己コントロールすることが可能だったとの説明に、「必要は必然の母」という言葉を連想し、あり得べきことと思いました。
実は、私も紙ナプキンによるかぶれを経験しています。
紙ナプキンの発達は「漏れないこと」への追求でした。どんどん技術が進み、高度に化学的になっていく紙ナプキン。表面はさらっとしているし、確かに経血を閉じ込める量が増えているらしく、取り替える手間も減っている。なので、さらにむれるせいか、どんどん皮膚のかぶれがひどくなっていきました。
取り替える回数が少ないせいでは、とこまめに取り替えても状況は変わらず、時には敏感な部分の皮膚があかぎれのように切れて出血し、泣く思いをしましたっけ。2000年代のことです。
日本製の優秀な紙ナプキンは特にひどい。分厚いイギリス製のものに変えてからは症状がだいぶ楽になりましたが、それでも一ヶ月に一度の生理が苦痛で憂鬱でした。誰にも話せず恥ずかしい話題で一人で悩みましたよ。もう少し若かったら絶対布ナプキンを使っていたのに残念!
さて、布ナプキン派でもすべての日に布を使うわけではなく、紙ナプキンと使い分けている人も多いようです。
一日目と二日目は天然コットン100%の紙ナプキンを使い、経血量が落ち着いてきたら布。
洗うのが大変そうですが、お風呂のついでにちょこちょこと手洗い、時には一晩洗剤液に漬けるいわゆる漬けおき洗いをすると、それほどの手間ではないそうです。
それにしても、本来紙ナプキンは女性を生理のわずらわしさから開放してくれるものだったはず。
同じ技術は紙おむつにも使われていますね。今年86歳の私の母は、昭和30年代には布オムツを来る日も来る日も洗うしかなく、しかも、私も弟も12月生まれなので、真冬には洗ったオムツはなかなか乾かず、とてもつらかったと話してくれました。紙おむつの登場は、確かに、女性をこうした家事労働の負担から救ってくれたと思います。
しかし、紙おむつにしてから、肌がさらっとしているため、赤ちゃんは不快感を感じず、オムツはずしがどんどん遅くなっているのも事実。赤ちゃんのオムツはずしのタイミングは赤ちゃんが決めるから、親の都合で早く早くと無理強いするべきではないという説もあるようです。しかし、一方で紙おむつという先端技術の申し子を使いながら、一方では赤ちゃんの自然な意思(?)を尊重するという主張もどこか矛盾しているのではないでしょうか。
また「漏れないこと」を追求しすぎたために「むれないこと」を犠牲にせざるを得なかった紙ナプキンの発達。テクノロジーが進歩しすぎたことから生じる矛盾や問題点について、もっと考えてみる必要がありそうです。そして、そもそも、「女性の解放」とはどこにあるのか。
娘のような若い世代の下宿のお嬢さんたちから教えられること、また、改めて考えてみなければならないことがまだまだたくさんありそうです。